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ドーフィーヌ門駅入口
Entrée de la station Porte Dauphine
パリ・メトロの
ドーフィーヌ門駅入口
(1902年)。エクトル・ギマール(Hector Guimard)が、1900~13年の間パリ・メトロポリタン鉄道会社のメトロ入口の第一世代を担当した際、メトロの入口は5種類作られた。一番立派なのは、エトワール(Étoile)駅入口(1900年)とバスティーユ(Bastille)駅入口(1905年)。2つとも市民に気に入られることなく、無関心かつ当然のように取り壊されてしまった。それは、この奇妙なデザインが、一流の(新古典やネオ・ルネサンスに傾倒して創造力に欠けた)建築家からは軽蔑され、一般大衆からも好まれなかったから。ギマールのメトロ入口で2番目に立派なのが、このドーフィーヌ門駅入口。パリ中捜してもこれ一つしか残っていない。曲がった鋳鉄と波板ガラスを用いたアール・ヌーヴォーのデザインと、彼がデザインした「METROPOLITAIN」の字の組み合わせが生みだした「メトロ様式」だ。ドーフィーヌ門駅入口は、それに加えて壁面がオレンジ色で彩色され、「ベランジュ館」のところで紹介したブリュッセルのタッセル・ホテルの階段を思わせる繊細な模様で飾られている。まさに、芸術品と言える出来栄えで、パリで最も美しいアール・ヌーヴォーのメトロ入口だが、場所が悪くて人通りはほとんどない。最初に紹介するのが、既に壊されてなくなったバスティーユ駅の入口の古写真。2枚目の写真は、普通に斜め横から撮ったもの。3枚目の写真は、正面から撮ったもの。4枚目は、オレンジ色の壁面の拡大。
「ベランジュ館」のところで、他国の新芸術について述べた。その中で、ウィーンについては、地下鉄と関係するので、もう少し詳しく紹介しておこう。ウィーン市営鉄道の建設が決まった時、オットー・ワーグナーは意匠面での顧問として鉄道の駅舎から高架橋に至るまで統一的なデザインを指導を依頼された。だから、彼の作品で現存するほとんどの建造物は、市内に点在する駅舎と高架橋。彼はまた、市内のドナウ運河に関係した建物や堰のデザインにもかかわった。これではまるで土木技師だ。本来の建築家としては、公共的な建築物の依頼はゼロに近く、唯一の作品は、1906年のオーストリア郵便貯金銀行(Österreichische Postsparkasse、現在のオーストリア科学アカデミー、オーストリア科学基金の建物)くらい。何となくエクトル・ギマールに似ている。参考までに、ワーグナーのベストの駅舎であるカールス広場駅(Karlsplatz)駅(今では、オットー・ワーグナー博物館)の典型的なゼツェッショーン(Sezession、セセッション)様式を1枚目に、通常の駅舎の一例として、市立公園駅のアール・ヌーヴォー的な入口を2枚目に示す。