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ラファイエット通り跨線橋 Pont de la rue Lafayette
20世紀初頭、東部鉄道会社(Compagnie des chemins de fer de l'Est)はパリを起点する5つの鉄道会社の1つだった。下の図は、1937年の路線図だが、ピンクが東部鉄道会社、反時計回りに、オレンジが北部鉄道会社、パープルが国立鉄道管理局、グリーンがパリ・オルレアン鉄道会社、ブルーがパリ・リヨン・地中海鉄道会社で、それぞれのターミナル駅は、東駅、北駅、サンラザール駅とモンパルナス駅、オーステルリッツ駅、リヨン駅だった。

東駅(Gare de l'Est)のすぐ北には、ラファイエット通りがあり、そこには1882年に架けられた長さ79mの橋があったのだが、20世紀に入ってからの鉄道路線の急拡大(16→30)により、線路の増加が必要となり、橋がネックとなった。そこで、①鉄道の運行を妨げない、②ラファイエット通りの交通遮断を可能な限り短くする、という条件で橋を架け替える必要が生じた。当時、鉄筋コンクリートの設計事務所Pelnard-Considère & Caquotの所長だったアルベール・カコー(Albert Caquot)は、独創的な解決策を提案する。それは、旧橋の橋台を利用して、2スパンの全く新しい橋を架けるという案。その橋は、これまで誰も試みなかった鉄筋コンクリートで出来たダブルワーレントラス橋だった。この案に対し、公共事業省の鉄道局はセーヌ県知事に、❶形式に対する疑問、❷施工に対する不安を示唆するが、翌1928年には航空省の技術部長になるほど高い評価を得ていたカコーの案はそのまま了承された。ラファイエット通りの交通は、1927年6月16日~28年9月3日の間だけ遮断され、翌月の10月20日にはもう開通式を迎える。この形式の橋は二度と架けられなかったので、世界で唯一の貴重な存在だ。1枚目の写真は、多くの路線を跨ぐ
ラファイエット通り跨線橋の全景。2枚目の写真は、橋の上からワーレントラスを撮ったもの。コンクリートのトラスは思ったよりずっと大きい(車が小さい)ことに驚かされる。3枚目の写真は、非常に特徴的な高欄を写したもの。1927年といえばアール・デコ(Art Deco)の最盛期で、アール・デコの代表的な特徴は、次の3つ。
①階段状、段差状の装飾、
②直線のみで構成された模様、
③奇怪とも思われる小さな像の装飾(このうち、どれか1つが使われる)。ラファイエット通り跨線橋の高欄はこのうちの
②に該当する。日本では、
①が多用されたが、
②の一番有名な例は、東京初の地下鉄上野~浅草線(1927年)の浅草駅の入口の素通しの壁面を飾る「地下鉄出入口」の文字(4枚目の写真)〔私の撮った写真が下手だったので、サイトの写真を借用した〕。