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 トゥールーズのポン=ヌフ  Pont-Neuf
 トゥールーズのカタラン橋  Pont des Catalans 

ソーミュールのセサール橋(No.5)の場合は、1756年に始まった工事は、橋脚の基礎工が2年かかってもうまくいかなかったので、ロンドンのウェストミンスター橋で使われていたケーソンをフランスで初めて使用し、その結果、12連の半円アーチを1770年までに完成することができた。しかし、トゥールーズで石橋の基礎工が始まったのは、1542年。原始的なケーソンは古代ローマ時代から防波堤の工事に使われていたが、橋の橋脚に使われるようになるのは18世紀になってから。さらに悪いことに、ガロンヌ川は川底にある沖積層と、橋脚を支えることのできる硬い泥灰岩の層の間に、砂の塊の混じった不安定な層があり、当時は、鉄の棒を舟から突き刺して調べることしか方法がなかったため、砂の塊にぶつかって泥灰岩だと誤解することが多かった。1542年に開始された左岸側1番目の橋脚は、岸に近かったため1544年に完成したが、1554年に開始された2番目の橋脚は、途中洪水で木枠が流され、請負業者の不正問題もあり、完成は1559年。3番目は1561年完成と順調だったが、4番目は基礎が不安定で途中で橋脚に亀裂が入り、完成は1567年。5番目も基礎が悪く、完成後に橋脚が割れて洪水で流される始末。1581~97年までは第8次ユグノー戦争(宗教戦争)で休止。6番目は、慎重に基礎が作られ、1597年着工~1601年の完成。5番目も1610~12年で再建。この時点で、戦争による中断を差し引いても着工から52年。橋の工事遅延はパリの枢密院でも問題となり、パリの職人が工事に参加することに。彼らは、半円ではなく、流水を少しでも妨げないバスケットハンドル・アーチ(楕円に似ているが、長軸の端から短軸の頂点まで 曲率が連続的に変化するアーチ)を提案し、トゥールーズの建設現場で3つのアーチを1615~19年に架けるが、4番目の橋脚に亀裂がみつかり、改修工事が完了したのは1626年。かくして最大スパン30mの7連のアーチを持つ全長220mの橋が完成したのは1632年になってから。それでも、これだけ苦労して慎重に作られたため、完成後は、ガロンヌ川の大洪水にも耐え、1937年と1948年にすべての橋脚の基礎を泥灰岩の層に固定する改修工事が行われると、安全性は盤石になった。この橋の名は、トゥールーズ初の石橋だったので、ポン=ヌフと名付けられ、今では最古の橋(ヴィユ橋)となったが、名称はそのまま、これは、パリのポン=ヌフと同じ。ラングドック地方では石材の入手が困難なので、このポン=ヌフも、橋脚とアーチは石(石灰岩)だが、壁の部分はすべて煉瓦。そして、洪水に対処できるよう、橋脚の上に石で囲まれた変則的な形の開口部が設けられている。当初はライオンの口を表現する予定だったが、経費削減のため単純化された。1991年、歴史的建造物に指定。1枚目の写真は橋の全景。2枚目の写真は独特の開口部。
 



トゥールーズ市が、1901年に実施した 「2 車線の道路と歩道、2 本の路面電車用の橋」のコンペの結果、最も低価格だったのは7 径間の鉄の橋だったが、委員長は街の景観に相応しくないと判断し、ポール・セジュルネ(Paul Séjourné)が “有名な設計者” になる前に提出した “石アーチの上に煉瓦の壁を積んだ橋” の案を採択した。この橋は、トゥールーズの誇るポン=ヌフの1km下流に架けれられ、ポン=ヌフの視界にも入るので、セジュルネは、アーチの形をポン=ヌフと同じバスケットハンドル・アーチにし、アーチと橋脚には石を用い、アーチの壁には煉瓦を積み、さらに、橋脚の上に開口部を設けるなど、極力ポン=ヌフの近くの橋として違和感がないよう配慮した。セジュルネは、市の当初の指示通り、路面電車用と、車道用に2列のアーチを並行して作り、その上にRC床版を載せるという変わった構造を採用した。しかし、橋が1908年に完成すると(完成年は1911年、1913年など出典により異なる)、トゥールーズの民間バス会社の取締役をはじめ多くの市民が路面電車に反対したので、結局、両側4車線の道路橋となった。橋の名前は、カタロニア市長の訪問を受けて、カタロニアのフランス語カタランになった(橋を渡った対岸の道は、ポール・セジュルネ通りになった)。カタラン橋は、全長257m。46.0mの中央スパン以外は、スパン38.5mの5連の橋。2018年に歴史的建造物になった。1枚目の写真は全景、2枚目の写真は開口部の拡大。