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 ランスのノートルダム大聖堂  Cathédrale Notre-Dame, Reims 

【世界遺産】ランスのノートルダム大聖堂。1211年に着工し、これだけの規模の大聖堂を1345 年には完成させている(構造部分)。ユネスコの世界遺産選定理由を見ると、「13 世紀の新しい建築技術の優れた扱いと、彫刻装飾と建築要素の調和のとれた融合により、ランスのノートルダム大聖堂はゴシック芸術の傑作の 一つとなっている」という書き方しかされていない。ウィキペディアも、ランスの何が優れているかの要点を書かず、ただだらだらと歴史的経緯を書いているだけ。他のサイトを見ても大聖堂の規模についての言及はない。そこで、歴史ではなく建築史の観点から、その素晴らしさについて解説しよう。そのためには、北フランスの3ヶ所で作られた有名なゴシック大聖堂の構造を対比してみるのが一番面白い。
 
の図で、の小さな断面図が、ランスの45キロ北西にあるラン(Laon)の町にある初期ゴシックのラン大聖堂。1155年着工で天井高は24m。24mといえば7~8建てのビル。それがすっぽり中に入る巨大な空間を石積みだけで支えなければいけない。少しでも高くするため、天井のアーチには半円ではなく尖頭アーチが使われ、それを壁ではなく等間隔の柱で支えるため(そうでないと、壁にステンドグラスを入れる穴が開けられない)、天井を の形に補強する「交差リブヴォールト」という手法が考案された(の身廊の写真で、赤線で囲った部分が1つの )。 の左右の┃が身廊の壁、上下の ━ が身廊の尖頭天井の補強アーチ。その四隅に柱がある。ここからは左上の図参照。尖頭天井は小さな石で積まれていて、その石の荷重は、 の形に組んだ交差リブで、4方向に集約し、4本の柱に集中して掛かる。しかし、力の方向は真下ではなく、左上の図で言えば荷重は右下(赤の矢印)を向いている。交差リブは地上17mくらいの所で柱に乗っているが、そんな高い所で外側に力が働けば、柱は耐えられずに外側に倒れてしまう。それを防いでいるのが、壁の外に作られた飛梁(フライイング・バットレス)と呼ばれる部材で、横方向の力を伝達し、そのさらに外側にある控壁(バットレス)と呼ばれる巨大な柱で支える。こうすることで、教会内部には等間隔で細い柱だけが並び、柱の間に壁はなく、ステンドグラスが美しく光る空間が実現する。建物の外が、補強材でどれだけ建て込んでいても、内部さけよればいいのがゴシックの教会だ。ランスでは、天井の高さが、建造当時、フランスで最高の38m(12階建てのビルに相当)に達した。そのための、支えは、の図(中央)で分かるように、ラン大聖堂とは比べものにならないほど巨大化している。そして、の図()は、失敗作のボーヴェ大聖堂。15階建てのビルに相当する空間を支えるため、飛梁も控壁も二重にしたが、それでも耐えられない部分が出来てしまった。石積み構造の限界と言えよう。

下の写真は、1枚目が内陣側から見たランス大聖堂の全景。2枚目がファサード。両端には2つの鐘楼(高さ87m)も屹立している。これほど完璧に外観を保持し、かつ、巨大なゴシック大聖堂は、パリのノートルダム大聖堂(ランスの方が大きい)くらいしか思いつかない。
 
 

ランス大聖堂は、建築物として見た場合は、類まれな立派さを誇ることができるが、美術品として見た場合、シャルトル大聖堂やトロワ大聖堂の足元にも及ばない。1481年の屋根の火災や 1600年頃のオルガンの火災で中世のステンドグラスの多くが破壊され、18世紀には、愚かな啓蒙主義により、下部のステンドグラスが、内部を明るくするため白い窓ガラスに置き換られたためだ(1枚目の写真)。第一次世界大戦では、一部のスランドグラスだけは地下室に移したが、残りはドイツ軍の爆撃(1914年9月)で破壊された。だから、一番きれいなファサードの下にある小さなバラ窓のステンドグラスも、ステンドグラス芸術家ジャック・シモンが1937年に作ったもの(2枚目の写真)。ステンドグラスは全滅状態だが、ユネスコも「彫刻装飾」と敢えて指摘するように、ランス大聖堂の中世の彫像は高く評価されている。中でも有名なのは、ファサードの入口にある 「微笑みの天使(L'Ange au Sourire)」として知られる1240年頃の彫像(3枚目の写真の右端)。ドイツ軍の爆撃で彫像は破壊されたが、修道院長によって拾われた破損した頭部や、19世紀に作られた 「微笑みの天使」 の塑造品や、第一次世界大戦前に2人の芸術家によって模造された頭部の彫刻を参考にして1926年に復元され、元の場所に戻された。