これを作り上げた天才的造園家は、アンドレ・ル・ノートル(André le Nôtre)。城館を担当した建築家のルイ・ル・ヴォー(Louis le Vau)、館内の美術を担当した画家シャルル・ル・ブラン(Charles le Brun)の3人。財務総監(Surintendant des Finances、1653~61年)のニコラ・フーケ(Nicolas Fouquet、1615~80年)のために豪華な城と庭園を作った(1656~61年)。そして、歴史上有名な1661年8月17日。フーケ(46歳)はルイ14世(22歳)と約600名の延臣と高級娼婦を招き、城で豪勢な祝賀会を開いた。国王を遥かに凌ぐ豊富な資金力に激怒した若きルイは、9月5日にフーケを逮捕させ、公金横領と不敬罪で裁判にかけた。1664年12月21日の判決で、フーケはピネロロ要塞での終身抑留となった(1680年死亡)。祝賀会での様子は、19世紀の小説家アレクサンドル・デュマの『ブラジュロンヌ子爵』の一分冊、『鉄仮面』の中で詳細に描かれている。それ以後、ルイ14世の造園家となったル・ノートルは、ヴェルサイユ宮殿の庭園、ルーブル宮の前のチュイルリー(Tuileries)庭園の整備、フーケを敵視していたコルベールのソー(Sceaux)城の庭園などに携わる。