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オー=ケニグスブール城
Château du Haut-Koenigsbourg
オー=ケニグスブール城(Château du Haut-Koenigsbourg)は、標高757mのヴォージュ山脈の東端にある要塞城。1147年の文書の中に、シュタウフェン城(Staufenberg)という名称が出て来るのが原点。13世紀にロレーヌ(Lorraine)公爵がその城を占拠した後は、持ち主が頻繁に変わる。15世紀になると、ティアシュタイン家(Thierstein)が2つの砲塔と強固な城壁を持つ要塞を建てる。17世紀の三十年戦争(プロテスタントとカトリックの衝突、封建主義と絶対主義の衝突)中、1633年にスウェーデン軍により城は占領・放火され、放棄されたまま19世紀に至る。普仏戦争(1870~71年)の結果、フランス領だったアルザスはドイツ帝国に割譲され、城の修復に熱心なヴィルヘルム2 世(Wilhelm II)の治世下で、ベルリンの建築家で城郭研究者のボド・エプハート(Bodo Ebhardt)が1900~08年にかけて城を修復した。エプハートの目標は城を1500年頃の状態に修復することだったが、詳しい資料がないので、勝手な解釈は最小限に抑えた手法が採用された。下の図①の1633年の城の絵(原典の図を拡大して、③と位置をほぼ合わせてある)、②の1900年の修復前の破壊された姿、③の1908年の修復後の姿の3枚を比べてみると、エプハートが①を参考に③に至ったらしことが類推できる。
1枚目の写真は、城壁の上から東側の塔を撮ったもの。2枚目の写真は、その下部。3枚目の写真は、城内にある跳ね橋。